STINGER HOME / F1 DATA / 2010 チーム / ヴァージン・レーシング
ブロウンGPとのジョイントで大成功を収めたヴァージン・グループがマノー・チームを買い取り、チーム名をヴァージン・レーシングに改名した。
チーム名の改名に伴い、チーム代表がアレックス・タイから、チーム創設時からチームに深く関わっていたジョン・ブースに交代。デザイナーのニック・ワースは、レイトンハウス時代から、進みすぎた頭脳の持ち主といわれた奇才で、マシンは風洞を一切使用せず、コンピューター上の計算流体力学のみでマシンを設計。オーソドックスに見えるマシンに、実は秘策が隠れているという声もある。
ドライバーにはティモ・グロックとルーカス・ディ・グラッシを、リザーブ・ドライバーにルイス・ラジアを起用。もう1人のリザーブ・ドライバーとしてアルバロ・パレンテが選ばれていたが、メインスポンサーの支援がなくなってしまっため、シーズン前にその任を解かれた。
| 本拠地 | イギリス-シェフィールド / ビスター |
|---|---|
| チーム代表 | ジョン・ブース |
| ドライバー | T.グロック / L.ディ・グラッシ |
| シャシー | VR-1 |
| エンジン | コスワース CA2010 |
| 参戦 | 2010年 |
| 公式サイト | http://www.virginracing.com/ |
Timo Glock
ティモ・グロック

2007年、GP2チャンピオンの肩書きを携えて、同郷のラルフ・シューマッハに代わり、トヨタのドライバーとなったが、F1キャリアはジョーダン(現フォース・インディア)からスタートしている。トヨタ初年度は、第11戦のハンガリーGPで2位を獲得する活躍を見せているが、それ以降は2009年の第2戦のマレーシアGPまで表彰台に上ることはなかった。終盤の14戦では健闘し、自己&チーム初の2位表彰台をゲット。しかし、続く第15戦日本GPの予選中にクラッシュし、足を負傷してしまっため、その後は小林可夢偉にシートを託す。
トヨタ撤退後の2010年は、強いチームよりも小さいチームと共に上を目指したいという思いから、マノーの生まれ変わりであるヴァージン・レーシングのドライバーになった。
2004年にジョーダンのテストドライバーとして迎えられ、契約の都合で出走できなくなったジョルジオ・パンターノの代役として、第8戦のカナダGPに出場。レースデビューとなったカナダGPは予選16位からスタート。決勝ではチームメイトのニック・ハイドフェルドを上回る7位でポイントを獲得した。
| 出身国 | ドイツ |
|---|---|
| 参戦 | 2004年 |
| カーナンバー | 24 |
| タイトル | 0 |
| 誕生日 | 1982年3月18日 |
| 公式サイト | なし |
Lucas di Grassi
ルーカス・ディ・グラッシ

出身のブラジルを中心に、レーシング・カートやナショナル・フォーミュラのタイトルを総なめにした後に渡欧。2005年には、F3の世界一決定戦のマカオGPを制覇する。2006年からルノー・F1・チームのサード・ドライバーを務め、GP2に参戦。2007年もGP2に参戦。2008年はルノーのレギュラー・シート獲得を目指すものの、シートはネルソン・ピケJr.が獲得したため、引き続きサード・ドライバーを務める傍ら、ブルーノ・セナと共にホンダF1チームのテストにも参加している。
2009年もGP2に参戦しつつ、シーズンの途中でルノーのピケJr.がチームを離脱したため、サード・ドライバーだったロメイン・グロジャンがレギュラー・ドライバーに昇格したため、ふたたびその後任をつ務めた。2010年、ヴァージンから念願のチャンピオンシップ参戦を果たす。
| 出身国 | ブラジル |
|---|---|
| 参戦 | 2010年 |
| カーナンバー | 25 |
| タイトル | 0 |
| 誕生日 | 1984年8月11日 |
| 公式サイト | http://www.lucasdigrassi.com.br/ |
illustration:Shuuichi Furuoka(Machine) / Satoru Morooka(Drivre) / ICEMAN(Helmet)
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