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ブラジルGP:インテルラゴス・サーキット

インテルラゴス・サーキット サーキット画像

グランプリ ブラジルGP 初開催 1973年
決勝開催日 11月9日 開催回数 2014年は42回目(この会場では32回目)
開催地 ブラジル - インテルラゴス ラップレコード 1:11.473 - J.P.モントーヤ+ウィリアムズ(2004年)
サーキット インテルラゴス・サーキット 前回のポール S.フェッテル+レッドブル
全長 4.309 km 前回の予選最速 1:25.342 - L.ハミルトン+メルセデス
周回数 71 前回のウィナー S.フェッテル+レッドブル
レース距離 305.909 km 前回の決勝最速 1:15.436 - M.ウェバー+レッドブル

◆最初のブラジルGPは、1972年に、現在のブラジルGPの舞台として定着しているサンパウロのインテルラゴス・サーキットで開催された。その後、1978年から1989年までは、リオ・デ・ジャネイロのオートドロモ・ジャカレパグアに一時移動したが、1990年から再びインテルラゴスに戻ってブラジルGPは開催されている。

◆ブラジルGPは、日本にゆかりのグランプリだ。1987年には、中嶋悟が日本初のフルタイムF1ドライバーとしてビデューの舞台(リオのジャカレパグア) となり、2007年には、その長男の中嶋一貴がウィリアムズてF1デビュー(サンパウロのインテルラゴス)を飾った。さらに2009年には、小林可夢偉がトヨタ・チームのドライバーとしてデビュー戦を迎えることになった。

◆中嶋悟がデビューした1987年のブラジルGP初日の金曜日、真っ先にコースインしたのは中嶋悟の黄色いロータスだった。ピットから遠く離れた巨大スタンドから大歓声が上がった。ブラジルは元々日本びいきの国として知られていたが、日本人の中嶋にこれほど大きな歓声が上がるとは驚きだった。

◆中嶋悟は、ゆっくりとコースを進み、やがて大歓声が上がった巨大スタンドの前に差しかかった。と、スタンドからブーイングが上がった。遠くで見た黄色いロータスに乗るのが、中嶋の同僚のアイルトン・セナと思い込んだ勘違いの大歓声だったのだ。勝手に間違えておきながらのブーイング。ブラジルの明るくストレートな国民性を象徴するワンシーンだった。

◆インテルラゴス・サーキットは、バンピーな路面と不安定な天候で、スペクタクルなレースの舞台となることで知られる。2008年には、マクラーレンのルイス・ハミルトンとフェラーリのフェリペ・マッサのタイトル争いが、最終戦の最終ラップの最終コーナーで決まるという、まるで小説のような展開を呼んだ。これも、終盤にコースを濡らした雨が作ったストーリーだった。

◆2012年、雨に強いが、ドライではポテンシャルを発揮しきれないザウバーの「C31」を駆る小林可夢偉は、ドライとなった予選では14位と不調だったが、ウェットになった翌日の決勝では、タイトルのかかるレッドブルのセバスチャン・フェッテルとフェラーリのフェルナンド・アロンソと互角に渡り合い、何事にも動じず、高いポテンシャルを発揮する可夢偉の強さを改めて証明した。

◆インテルラゴスのもうひとつの特徴は、反時計周りであること。左に曲がりながら駆け下る第一コーナーは、毎年スタート直後に混乱を呼ぶ難所として知られている。コース改修によって路面のバンピーさは減少したが、半分が高速で残りの半分はテクニカルという手を焼くシチュエーション。他のコースにも増して、「ダウンフォースとドラッグの良いバランスを見つけなければならない」とエンジニアは異口同音にコメントしている。

◆サンパウロの治安は、GP開催国の中で最悪とも。数年前にトヨタのスタッフが暴漢に襲われ、以後トヨタF1チームの経営陣は、防弾ガラス付きのリムジンでサーキットに"通勤"していた。

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